№1381
(いわゆる「湿っぽい話」が苦手な方はお読みにならないほうが良いと思います。)
10年ほど前に親の面倒を見たくて、一緒に住めそうな大きな中古住宅を購入し、
それまで住んでいた小さな家を「二束三文」で売り、今の住宅に越しました。
両親と妹は同じ県内ですが数時間掛けないと行けない場所での「賃貸住まい」。
私から見て「生きることへの熱意」を失った家族のようで、借りている部屋なのに
今で言うところの『汚部屋』でした。
引っ越しの最後に部屋を見た時に「黒カビ」が壁と言わず、天井と言わず💦
大家さんへの支払いも結構ありました💧
そうして始めた同居住まい。
最初はお互いの遠慮が有って、何も問題がなさそうに見えましたが・・・
(実の家族でも何十年も生活様式が違うと合わないんですよ!これが。)
食べるものも物の整理の仕方も、果ては寝起きする時間帯も違う。
家内には本当につらい思いをさせました。
同居って始めて見るととても大変な案件なのです。(経験者はきっと頷くと思います)
そうこう色々ありながらも暮らして数年後、父親がもともと悪かった心臓病で他界。
その数年後に痴呆の有った母親が他界。
(私と息子が介護福祉士の資格と経験があり、介護は本当にスムーズに出来ました。)
そしてその数年後には妹が末期がんで他界。
やはり私が病院勤務だったことが功を奏し、緩和ケアも受けることが出来ました。
私の胃に癌ができたのを知ったのは、妹が他界する直前でした。
私の病気に気づいた妹は、ノートの切れ端に「神様、私はもう死にますが兄の命を
守って下さい・・」と書かれていました。 無くなる前に妹には神の存在と、復活の
希望があることを証言していました。元気だった時には鼻で笑ってあしらうほどに、
聞く耳をもたない彼女でしたが、流石に死を目の前にして真剣に考えたのでしょう。
我が家の家系もお墓は、山形県大江町(旧 左沢町(あてらざわ))にあり、父親が
いとこに世話を頼んでいたのですが(高額な支払いをして)、時の経過とともに
金だけ受け取って何もしてくれなくなり、その従兄弟も逝き、その息子から墓の扱いを
どうしたら良いか?との手紙が届きました。
私が代表になるので「墓は自由に整理して下さい。」と伝え、事実上墓は無し状態。
私も家内も「死者への恐れ」も「特別な崇敬の念」もなく、あるのは法律上きちんと
埋葬しなければならない決まりを守ること、そして神に委ねることを大切に思って来ま
した。 なので理解を示してくださった葬儀屋さんに相談をし、3人分のお骨を一緒に
『合祀墓(ごうしぼ)』に入れて頂くことにしました。
「合祀(ごうし)」とは元々は「神道」にて、いろいろな神様を一緒に祀ることから
派生して「一緒に祀る」ことがお墓にも当てはめるようになりました。
経済的な理由や、もう受け継ぐ人がいない人が・・・
「骨壷からお骨を出して、不特定多数の人の遺骨と一緒に埋葬する」埋葬形式を選ば
れる様です。(特定の場所にお墓がありません。)
本当に久しぶりにそのメモリアルパークに行きました。
シロバナホトトギスが静かに咲いていました。
それぞれのお墓のエリアに共通しているのが・・・
「お墓らしくない洋風の静かなエリア」ということです。
もちろんあるにはあるのですが、昔からの背の高い物々しい墓は殆ど無くていかにも
お墓らしい景色を作る「卒塔婆」も見当たりません。
背の低い丸みを帯びた石碑には「光」、「愛」、「平和」などなど明るいタイトルが
目立ちます。
ここなら夜に来たとしても全然怖くない場所です。
お墓の入口に咲くホトトギスです。
霊園への入口も洋風で、とにかく明るいんです。
しゃがんで撮ったので墓が大きく見えますが、腰よりも低い物ばかりです。
全く何もないお墓もありました。
(いわゆる「先祖代々の墓」と彫られた墓は見つけられませんでした。)
死んだ家族の姿はたまに夢の中に出てきますので、その都度思い出をたどり「偲んで」
います。 自分もここでいいなぁ・・と家内に話すと「私も同じ場所で」と答えてきま
した。
結局のとこr,何年も一緒には暮らせなかったけど、あの時に首に縄をつけてでも連れ
て来なかったらきっと『あの汚部屋』で死んでいたに違いない!と思っています。
父は元々心臓や内臓に病気を持っていることを隠して我慢していたようです。
母は母で糖尿病もかなり悪くなっていて、ろくろく医者に診てもらってもいなかったし
妹も一緒に暮らして病院に連れて行かなかったらガンはもっと早く進行して、やはり
更に早く死んでいたに違いないのです。
だから「生きている内に色々世話をしてあげる」事は、死んで何百万も掛けて葬儀をし
たり大きな墓を建てることより遥かに勝っています。
過去のことと、自分の近い将来のことを色々と考える一日でした。
(この日の翌日が【大腸内視鏡検査】でしたから、不安な思いと結果次第では現実の
事となりえるので余計に真剣に考えたのでした。)