とてつもなく大きな台風(24号)が来ようとしています😱💦
なぜいつもいつも、こうやって「🌀クイ!」って曲がるんでしょうね?
偏西風強すぎでしょう!💢
どうか何事もなく、素早く立ち去ってほしい!!
【嵐の前の静けさ】とも言うべき「快晴の今日」。
庭の朝顔ですが・・・・・
咲き始めた花と萎み始めた花とが入り混じり、とても賑やかになりました。
場所が高すぎて終わった花の「花がら摘み」が出来ません💧
花の数が半端なく多いので採っても採っても取り切れないです💦
盛りに咲く花も美しいですが・・・
萎み始めた花もまた一興です🎵
水滴は雨ではなく、今朝の冷え込み時に降りた「朝露」です。
妹の医療支払い関係の書類を市役所へ持っていきました。
雲ひとつ無い秋空と、じっくり実らせる稲の実り具合も良好!
大好きな素朴な風景です。
【日々の記録として】
じつは先日、妹の入院先のソーシャルワーカーさんから・・
「もしもし! ご希望先の緩和ケア病棟の空きが出ましたので、一度見学なさいません
か? よろしければ25日(月)いかがでしょうか?」という電話があったんです。
そこで、火曜は日勤と夜勤ですので可能でしたら翌日水曜日は如何でしょうか?」と
お願いし、26日の午後3時半にその病院に出掛けました。
「緩和ケア」・・・検索していただくと概略は誰にでも理解できる内容
なのですが・・・
「人生の最終部分」に来ていることを、本人も家族も認識し、穏やかに命を終える為の
重要な場所です。
前々から妹とは「緩和ケア」の意味や、命に対する考え方について話し合って来まし
たが、いざその時が到来してみると・・・転院する日が決まったことを伝えるのは辛い
ものがあります💧
かといって引き伸ばしたところで、良くなる可能性は無く、痛みやら、
アンモニア脳症による意識障害が頻繁に起こり、痛みや苦しみのリスクが増す
ばかりなのです💦
今までの治療の経緯が如何に「恵まれていたか!」を話しました。
⬇
肝硬変の発見 ➜ アンモニア脳症に依る度重なる昏睡 ➜ 肝臓がんの発見
➜ 切除出来ない部位 ➜ 放射線治療(限度一杯まで出来た。)➜ 抗がん剤の使用
➜ カテーテルに依る患部への抗がん剤注入(これも限度一杯まで出来た。)➜
胆嚢、胆管結石による化膿 ➜ 内視鏡に依る施術(成功!)➜ 化膿した物が肝臓内
へ ➜ 肝機能の著しい低下 ➜ 腹水発症、胆汁蓄積(抜くための管を体内へ)
➜ 大学病院での「治療」終了 ➜ 傘下の病院への転院 ➜ 入院中にも数度の
「アンモニア脳症」による意識消失 ➜ 今回の「緩和ケア」への転院。
ガンが見つかった時点での「余命」は「半年」でした。
でも!上記の様々な治療が可能なほど、数年も長く生きています!\(^o^)/
胆嚢の化膿による高熱から「敗血症」で、そのまま看取る可能性が高かったのに、
それも乗り越えて来れました。😁
半ば強制退院の様でしたが、大学病院から移った当時は「元気に歩けて」、
「食べられて」「普通に話せて」いたので、転院先の医師からは「こんなに元気
なんだから病院ではなくて、家に帰った方がいいんじゃないの?!」と何度も
言われました。
普通なら患者はほとんどの人が「家に帰りたい!」というのでしょうね?
だから妹が「家には戻りたくない・・」と言った言葉が、先生にはよくわからなかった
のでしょう。
詳しくは言えませんが、何よりも「突然の痛み、発作」などの不安が消えず、
家では余りにも不衛生で、返って死期を早めてしまうのではないか?
そう思い、しばらくは強制的な退院はさせないでほしい!🙏 と頼んだくらいでした。
私の素人の勘でしたが・・・
利尿剤に依る「腹水コントロール」が上手く行かなくなり、抜いてもらうことが
複数回あり、そうしている間に歩行中に転倒(アンモニア脳症)。
日を経る毎に倒れる回数も増え、それを全く覚えていないという症状💦
思ったよりも早く悪化してきたのです。(本当に入院していて良かった。)
次第に受け持ちDr.も「そろそろ緩和ケアかなぁ」と判断されました。
普通、転院は患者の勝手や家族の勝手で出来るものではありません。
(「他所の病院に行くから退院する!!💢」 という罰当たりな患者や家族が
居ないわけではありませんが・・)
双方の病院の「相談員さん」「ドクター」が関係し、判断し決まるものです。
一人の命のために多くの人の働きが有ってこその「転院」・・・・
そう!いかに恵まれて今に至っているかを!⬆
そして金銭的な面では「公の機関(市)」が、低所得者のために「高額医療費」の
減免を・・・私の思いとしては「支払いの肩代わり」をして下さっていることに
心から感謝しているところなのです。
◎ そして・・・こんなに優しい兄を持っているなんて・・(^_-)-☆ ◎