№1050
もう少しだけ(^^) バイク話にお付き合い頂けましたら幸いですm(_ _)m
結果として購入できる「最後の大型バイク」・・・
どのメーカの何にしようかなぁ? と長い時間を掛けて選んだバイクでした。
先のバイクがYAMAHAだったこともあり、同社のバイクのハンドリング・・・・
(特にハンドル周りの取り扱いやすさを意味する言葉。)が良いことで知られて
います。そしてデザインがオンリーワン!ということに加え、900ccもある排気量
なのに400または250ccバイクたちの燃費に匹敵するほどの「高燃費!」に
惹かれ・・・HONDAのCB1300やSUZUKIの隼などに全く目が行きませんでした💦
(隼や川崎の1200、外車などは高価で、選択肢になりませんでした💧)
このバイクは「逆輸入車」扱いです。
「逆輸入車」とは・・・・
①日本のメーカーが外国で作ったバイクを輸入したバイク。
②日本で生産したバイクで、外国向けに出荷したバイクを輸入したバイク。
私が注文したバイクは「南アフリカ仕様」で、一旦イギリスのロンドン向けに
出荷されたのか? もしくは出荷準備中の物を取り寄せたのか??ですが、とにかく
このバイクはヨーロッパでは大人気ですが、国内ではサッパリ人気の無い車種です。
(沢山の人が乗らない分、所有感があり、珍味感?もあります!(^_^)v)
頼んだバイク屋さんは、入荷時の撮影をしていてくれまして、バイクがどの様に
梱包されているのかも分かる貴重な写真となりました。
ダンボールだったんですね!
200kgまでは行かない軽いバイクです。
でも、流石に人力では無理で、クレーンでバイクを下ろすのを初めて見ました!
もうすぐ「産まれます!」(^^)
「木枠」ではなく、金属のアングルでシッカリと保護されています。
少し形になってきました。
数日後にバイクを取りに行ったのですが、この日にとても冷や汗💦の出る事件があり
ました。それは・・・事故関係ではなく、関越道の手前でガソリンを満タンにしたの
ですが・・気持ちが舞い上がっていたのでしょうね・・・財布、免許証、車検証などを
入れたバックを後部シート(タンデム席)に、紐で縛ること無くそのまま載せて高速に
入ったのでした。
高速に入って1kmほど走った頃、「待てよ?荷物どうしたっけ?」と気になり、
道路の端に寄ってシートの後ろに手をやったら・・・・もう奇跡的としか言い様の
無いことですが・・・「有った〜!!!!でも、なぜ落ちなかったんだろう!!」
そうなんです! バイクの振動と風の働きで落ちるのが当たり前の載せ方だったのに
まるでバックがシートに「しがみついて」いたとしか思えません。
(スタンドからは2km以上走った場所でした。💦💦💦💦💦(冷や汗ドバドバ💦)
今思い出しても嫌な汗が出てきそうです😨💦
以来、リュックを背負うようにしました。
そんな「私らしい?」スターを切ったバイクでした。
その後7年間も「良き相棒」として、45000kmも一緒に走ってくれました(^^)
行った先の地図をなぞっていたらこんな風になりました。
故郷の山形県へ、仲間と会うために行った長野県飯田市、飛騨、富山の新湊、
山越えの六十里越(奥只見)、原発事故後の間もない時期に行った福島中通り、
初めての岐阜県から能登に行った夏の日、そして爆発前の木曽の御嶽山・・・
古い写真を一枚見ただけでは、一体どこへ行ったのか分からないのですが、何枚も
同日の写真を見て「あーー!ここにも行ったんだぁ!(^^)」って思い出したり、
とても「リア充の中年時代?」だったのだと、感謝が湧いてきました。😍
このバイク(TDM900)は、本当に燃費が良くて、高速のみだと30km/Lも走り、
350kmを無給油で走れます。 昔よりもGSが激減している昨今、地方に行けば行く
ほどスタンドが無かったり、休んでいたりでヒヤヒヤするものですが、この距離だけ
走ってくれると安心して峠越えも出来るというものです(^_^)v
おまけに、このバイクは一度も修理を必要としませんでした(パンクは除く)
エンジンは一発で掛かります!(季節を問わず)
アルミ部分が多く錆びません。
軽いので倒してもすぐに起こせます。(倒すな!(^^))
海へも(茨城県鹿嶋港)
山へも(長野県 野麦峠)
もちろん峠は数知れず!(長野県 渋峠)
寒い時期にも(長野県 志賀高原の雪壁)
下道だけでビーナスラインへ行ったことも・・
(実感としては2000mあるとは感じない麦草峠)
きっとこの高さまで樹木がシッカリと生えているからでしょうね。
ビーナスを越えて美ヶ原高原は何回も行きました!
晩夏から秋にかけては、マツムシソウ見たさに🎵
白樺平に降りて撮った日も。(ビーナスの後は山道を降りて上田方面へ)
何度連れて行ってもらったか知れません!
⬇ これは故郷の新庄市へ向かう途中の最上川沿いの道にて。ですね〜。
この時はかなり雨に降られました☔💦
不思議な事に、このバイクは長い時間乗っていても「お尻」が痛むことがなくて
長距離走るのに最適なバイクでした。
⬇ これは福島県の奥只見から、新潟県の「小出IC」へと向かった「六十里越」です。
景色がとても秘境っぽくてワクワクする景色でした。
900cc有って、車体も軽いので馬力は少ないですが6速という沢山のギヤも相まっ
て、実にスムーズに走ってくれるので、景色や道路状況にだけ神経を使うことが出来て
助かりましたねぇ🎵
霧雨の日にビーナスラインに行ったこともありました!
ニッコウキスゲが見たくて、行ったのですがこの天気☂
でも今こうして写真を見てみると、味わいがありますね(^^)
そう言えばこんな日もありました!
バイクブログの仲間とマスツーリングで富士山界隈を一周した際に、
「精進湖はお札の絵になっている」との情報を誰かが発して、じゃぁ見に行こう!
ということになり、来てみたものの・・・「どこがそうなの?」と、意外に知らない
「お札の絵」の元になった場所でした。
天気がよくて富士山の姿が見事でした!
時間的に日差しが違う、波も出ている・・ということで、逆さ富士は見れませんでし
た。 場所も微妙にお札の場所と違いますよね(^^)
「大室山:おおむろやま::1440m強の標高」、結構標高があるのに、
相手が富士山だと小さい丘にしか見えませんね(^_^;)💦
(バイク列の最後尾のバイクが私のTDM900 です(^^))
時には「日本海」にも!
能登市の「名舟漁港」です。 能登半島はとっても広いですが、走りやすく分かり
やすい場所でした。 美味しい塩が手に入りましたっけ・・・。
「七尾湾」の「ボラ待ちやぐら」ですねぇ。
この日は七尾界隈は「マラソン大会」で、少ない道がなおさらに狭められ、走りにくい
日だったことが思い出されます💦
おかげで途中下車の時間を長く取れましたけど😅
これは群馬県内の神津牧場方面から、軽井沢へと山道を走った写真ですね。
かつて有料道路だった「妙義荒船スーパー林道」の凸凹道を越え、浅間山が見える
軽井沢地区へ入って「ホッ」っとして撮った写真でしょう!
秋に行ったんですねぇ! 写真があればこそ思い出せる季節です。
これは道の途中の開けた場所で撮った写真です。
ここは長野県 飯田市の「よこねの田んぼ」で、『日本棚田百選』に出てくる棚田です
ね〜。 大規模の棚田ではないのですが、山間部の静かな場所にあり、とても落ち着く
景色で、深呼吸が出来る素敵な場所でした。
展望東屋があり、そこからの景色も魅力的です😍
バイクが小さく見えますね。
またある日は、林檎畑に連れて行ってもらったことも🍎
これは長野県の中野市の道路沿いのリンゴです。
頭では分かっていても、こんなに大きくて真っ赤なリンゴが枝にたわわに生っている
事実が、どうしてもピンとこないほどに「豊かで幸せな果物の姿」です。
肉眼だともっとリンゴが鮮明に見えて素敵な背景なのですが、写真は「光優先」に
して自動的に撮れてしまうので、明るい分だけ被写体が暗くなりますね💦
このバイクは仕事で出張しなければならない時にも、頼りがいのある「相棒」に
生ってくれました😍 深い山の中の現場に修理に行った際にも、茨城県や千葉県内の
業者さんとの打ち合わせの時にもバイクで行きました!
本当なら「嫌な出張」も、「楽しみ😍」に変わりましたっけ😅
バイクに乗りながら、意外にも色々な考えを整理することが出来まして、机上で
あれこれ悩んで迷うよりも逆に「スッキリと決断!」 そういう事が良くありました。
「自分の中の【走る会議室】?」だったのかなぁ😅
最後に・・・
このバイクは・・『何年もの間、遠く離れて住む親の面倒や世話を、本当に良くして
くれた』と、家内がプレゼントしてくれたものでした。
さほど苦労はした記憶が無いのですが、思い出すと週末の度に仕事や用事が終わった
夜の10時頃に家を出発し、二日間食事の世話や介護関係の人との折衝、病院への搬送
、家の周りの除草などなど数年続いたので、若くなければ持たない日々だったんです💦
だから感謝して乗ったバイクでしたので、本当に大切に乗ったバイクでした(^^)
このバイクにも沢山の「楽しい時間」をもらえました。
『08TDMと共に人生を駆け抜けます!』が最初のブログタイトルでした。
長く乗るつもりだった思いが含まれているタイトルでしたね。
でも売ることになってからは、現在のタイトルに変わりました。
こうして少しの時間昔を振り返ってみただけで、色々な思い出が蘇ります。
ブログは大事です!
これから先、自分が認知症になり今の事も、昔の事も分からなくなってしまうかも
知れません。 でも、残しておけば思い出すきっかけには生るかも😅
少なくても「私が歩んできた道の一部」の記録としては残りますので。