【今回の記事は、人の死に関わる決して快くは無い内容です。
ただ、普段関わることのない分野の実体験が、なにかの
お役に立てたら・・そう思っています。】
5月16日(火)午前1時25分・・・母が永眠しました。
蝋燭の火が「消えた」様に・・。
いつ病院から電話☎が掛かってきても良いように、早めに床に入りました。
電話が掛かってきたのが午前0時7分でした。
病院に着いたのがその40分後。
酸素マスクも点滴も接続されたままでした。
呼吸は既にしておらず、顔はもう冷たくなっていました。どういう訳か?
モニター上にはまだ「生きている信号」が現れていました。
もしかしたらモニターの不具合かもしれないためか、別のモニターが
取り付けられました。 それでもやはり反応が有ったのでモニターは正常
だったようです。 胴体や足にはまだ体温が感じられます。
しかし15分ほど経った頃、ナースが瞳孔を見て「死亡サイン」をチェック。
酸素が絞られ、点滴が抜かれ・・夜勤のドクターに依る「死亡確認」が
私達の見守る中で整然と為されました。
はい! みんなで看取ることが出来ました!
「旅立ち」の支度をしてもらい、病棟から遠く離れた霊安所へと移動です。
家族だけがそばで見守る中、ちんまりと小さくなった身体が、真っ白な
装束と布団でくるまれて顔には白い布が・・・時間と共に少しづつ顔の表情が
変わっていきます。
明日の午前中には献体を登録している大学病院から、遺体を迎えに来てもらう
約束を、まだ生きている間に交わしているので、早めに「死亡届」を市役所へ
持っていかなくてはなりません。
ここで一つ失敗しました😓💧
ネットによると「24時間365日」死亡届は受理される・・と書いてあったので
事前に役所に確認をしないまま、3時頃病院から片道20km掛けて行ってしまい
ました。 着いたのですが、どこにも明かりが点いておらず仕方なく『夜間受付』
サインの側のインターフォンを押しました。(ピンポーーーン🎵 )
眠そうに目をこする「当直員」さんが出てきました。
でも「書類の扱い」は一切行っていないことが告げられ、泣き泣き💧帰りました。
市役所は午前8時半から取り扱い開始、そして遺体の搬送は午前11時以降になる
事が分かったので、家族には一旦家で休むように伝え私が7時半頃まで一人で
「母」の側にいることにしました。
もちろん私には「霊魂不滅」の信仰も無ければ、霊への恐れも無いので、白く
なってしまった母の顔を時々覗きながら、生前のさまざまなシーンを微笑ましく
思い出していました。 ただ今日の未明はとても寒くて😓 息子が置いていった
「ひざ掛け」がまるで布団の中にいるような暖かさを与えてくれて、時々睡魔に
襲われるくらい快適でした。
朝になり、大学病院から電話があり「11時に伺います。」との事。
さぁ、急いで市役所へ行き「火葬許可証」をもらってこなくてはなりません。
それだけなら僅かな時間しかいらないのですが、市役所の方々が実に親切で、
死亡届に伴う様々な手続きを向こうからいろいろ申し出て下さり、おかげで
世帯主の変更、健康保険、年金の手続きの説明、高額医療減免の手続き・・
かなりたくさんの手続きが終わりました。
結局約束した時間より、自分の方が7分ほど遅れる結果になりました💦
既に到着していた「霊柩車」に遺体を載せて頂き、病院側からの「お見送り」
を受け、先に見えない場所に移動して待機して頂きました。
というのは・・献体に関係する様々な説明や、承諾書への記載、捺印が必要で
更には記載後に市役所へそれらの書類をコピーして、渡さなくてはならないので
それも決して忘れてはならない事柄なのです。(一旦渡したらコピー不可)
すべてが終わって、母を見送ったのは午前11時半を軽く回っていました。
亡くなってからほぼ「半日」が過ぎていました。
見送った後、急に眠気と倦怠感が襲ってきました。
何だか仕事場で「忙しい夜の当直」の様な疲れが出てきたようです。
末期がんの妹が残されたということは・・母の死により今後「年金」からの
収入が「ZERO」になることを意味しています。
死亡を届けないで『不正受給』を企む人たちの気持ちが、全く分からないでは
無い気持ちが理解できます。
多少の蓄えが尽きる時・・私達が助けなくてはならないことも不安な点です。
かといって「生活保護」は簡単に受給できません。
懸命に登ってきた「人生という山」。
その何合目に果たしているのでしょうか?
この先いったいどんな辛いことや難しい事態が待ってるのでしょうか?
宝くじでも当たれば経済的な点は忘れていられるでしょう😊
でも、その確率は宇宙規模で「あり得ないほどの低確率」なのです。
みんなで助け合って行くしかありません。
自分がいつ病気で倒れるか、それもあり得ますし、家族の誰かがそうなる
かもしれません。
もしかしたら本当の山のように「里程標」は、深い霧の中に立っている
のかも知れません。
耐えながらゆっくりでも登る時に、初めて見て実感できる「標;しるべ」
なのかも知れません。
私の身体や状況を案じて下さっている、たくさんのブロガーさんのご親切に
心か感謝いたします。 ありがとうございました🙏