『御巣鷹の尾根』近くまで。

日本航空(JAL123便)墜落事故 は、1985年(昭和60年)8月12日(18:56)に

群馬県多野郡上野村高天原(たかまがはら)山の尾根(通称:御巣鷹の尾根)

に墜落した事故でした。 乗客乗員含めて524名(胎児を含めると525名)

の内、生存者(負傷者)は4名だけでした。

 もうかれこれ30年近くも前の出来事になってしまいました。

でも、この出来事を記憶している人にとって、特に関係されている方々にとって

は、いつまでも消し去ることの出来ない悲惨な事故でしょう。

 

この事故に直接関係していない数多くの方々が、真摯な気持ちで現場を訪れて

死を本当に目前にされて、恐怖のどん底に置かれたお気持ちに思いを馳せたり、

「生きたくても生きられずに」亡くなった方々の無念さを深く思いやり、手を

合わせてこられました。 ブログに記事として揚げること自体を自粛されたり

「失礼に当たるのでは・・」と、やはり真面目な気持ちで書かれているよう

です。

 

今回私が「御巣鷹の尾根」に行きたいと思ったのは、もちろん「観光」でも

「心霊スポット」的な扱いをされている場所への「興味本位」な気持ちから

などではありません! 

それは、自分の生き方の甘さに対して叱って欲しくて・・・でした。

もし、自分が123便の中に居たとしたら・・果たして何を一番大切に思って

死に臨んだのだろう・・きっと「その事」は生きている私達にとっても「大切」

なことに違いない。 それをシッカリと思いに留める旅にしたくて・・。

 

午前10時頃に家を出発し、国道299号線をひたすら真っすぐに走りました。

天気が良くて、小鹿野町からは両神山がスッキリと見えました。

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この天気なら群馬県側に行っても大丈夫そうです。

 

「わらじカツ丼」で有名な小鹿野町、今日はそのまま素通りします。

秩父市内では各場所で渋滞していたR299も、小鹿野の市街を離れた途端車が消え

自分のペース(ゆっくり)で、山道を登れます。(カーブで煽られると怖くて(T_T))

 

県境の「志賀坂峠(トンネル)」から今来た道を振り返ります。

セメントの宝庫「武甲山」(中央)があんなに遠くになりました。

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下の道がみえますでしょ?

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志賀坂峠を少し下りてゆくと、目を見張る様な紅葉が待っています。

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ここで紅葉を目に焼き付けた後、まっすぐに上野村の楢原地区に向かいました。

楢原郵便局が見えたら左折して「ぶどう峠」方面へとまずは向かいます。

 

この青看板が見えて来たらここで左折します。

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脇を流れている川の水は青く澄んでいて、気持ちが「スーッ!」としてきます。

川の中にはこんなに沢山の魚たちが泳いでいました。

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県道124号から御巣鷹の尾根方面へ入ると、すぐにトンネルが待っています。

その数も多くて長く、曲線のトンネルもあり、事故後に懸命に道が整備された

ことが分かりました。

途中の「上野ダム(奥神流湖)」はこんな感じでした。

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振り返ると出口のトンネル。

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そしてすぐに始まるもう一つのトンネル入口。

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 トンネルの中はまるで、鏡と鏡を突き合わせた時の景色の様に「永遠に続く同じ

景色」みたいな感じでした。

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 人によっては霊的に「怖い」と感じるトンネルかもしれません。

でも、何も不安がる必要はないでしょう! 

むしろトンネル内でも起伏がありカーブもあるので、速度を極力落として眼を慣れ

させて走らないと本当に物理的に危険です!

 

トンネルが終わると道は次第に細くなっていきます。

高度が増す毎に落葉の数が増え、冬が間近い事を肌で感じます。

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さらに奥へ進んでいくと・・・

残念ながら11月15日をもって今年の登山許可期限は終了していました(T_T)

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あと3kmと少しでした。

この場所で、亡くなられた方々への思いを祈り、死後の別世界ではなく、やがて

地上が平和で安全な世界になった時に、「復活」させて欲しい! もう一度生きる

機会を与えてあげて下さい! そう祈って来ました。

今こうして自分には命があり、どのようにでも用いることが出来る自由がある・・

だからこそ人としてシッカリと生きなければ、500人を超える被害者の命に対し

ても申し訳ない・・・そんな気持ちを頂いて帰路に着くことが出来ました。

この場所に来て祈ることに私の気持ちの中では「意味」がありました。

私自身は「霊魂不滅」や「死んでも意識は残っている」という考えは全く持って

いません。 ですから「死者を恐れる」事はありません。 この事故現場を

「心霊スポット」などと仕立てて、むしろ死者を汚す事に苛立ちを覚えます。

恐れて近づかないことではなく、防ぐことは可能だった整備不良が原因の悲惨な

事故、それを二度と起こさないで欲しいという怒りと、亡くなられた方々や

ご遺族の方々への深い労りの気持ちを深め、命のある私達が「正しく生きていく」

事の尊さを再認識させて頂く場所なんだと思います。 

来年の初夏の頃にまた訪ねたいと思います。

 

近くの山はもうすっかり葉が落ちていました。

帰り道、何だかすっかり気持ちが楽になり、得も言われぬ「励まし」を頂いた

気がして走りながら「頭を下げ」ました。

(思い違いだとしても私にはそう感じました。)

 

日航機が落ちた同じ年に生まれた我が息子。

いつか二人で訪ねたい場所です。

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御巣鷹は冬の眠りに入ります。