(この記事は、過ぎてから思い起こせるように、事実を吐き出しています。)
ネットで調べてみると・・・
【悲喜交交】とは・・
『喜びと悲しみが一度に、あるいは交互に訪れた一人の人間の心境について
用いる語法。』
なので、「喜ぶ人もいれば悲しむ人もいる」・・・といった複数の人達の心境や
感情の状況変化を表現する言葉としては用いない。 と説明されています。
世の中の誰であっても、嬉しいときや悲しい時があります!
しかも悪いこと(本人にとっての)ばかりが次々と起こることも。
どちらかというと。嬉しいことが続くのは滅多に無いかも知れませんね(^_-)-☆
その人の思いや考え一つで「嬉しいこと」「悲しいこと」は変わってきますし、
感謝の無い人にとっては、他の人が「嬉しい」と思うような事も「別になんでも無い」
ともなったりしますので、悲喜交交の内容も人それぞれかも知れませんね。
さて!
私の最近の【悲:ひ】としては、愛車であり通勤の相棒でもあるフィット君が、
とうとう駄目になってしまったことです💧
この車を購入し、その手続が完了し家で皆で「吉牛」を食べる!その瞬間に友人から
電話があって「猫を飼ってくれない?」と言われ・・・
車と一緒に我が家に来たのが・・・「愛猫チャム】なのです。
(誕生年が多分フィットと一緒)
このネコが風邪一つ引かない丈夫な子なので、今はとても【喜:き】です(^^)v
いよいよ本題に入りますが・・・
フィットが無いと、とても生活に困る点が増えますので、色いろと家族で話し合った
ところ、「今」そして「これから」に関して家族の意見が一致しました!😁
【丈夫な内に、シッカリ働きつつ💦 楽しい思い出を共有
し合おう!】って。
そこで、お金を出し合って「人生最後のワゴン車」を買うことにしました。
これは一転して!【喜:き】です(^^)v
あと何年、あと何回、家族でドライブに行けるかどうか? 全く分かりません。
決して「刹那的」な気持ちで生きている訳ではないので、ご安心ください😁
(ネットからイメージ写真をお借りしました💦)
足腰が弱ってくると、セダンはもう乗り降りが大変です💦 ので、ワゴン車が
最適なんです!
息子と私は「介護関係」の仕事をしていますので、どなたにとっても・・
「人生の計画」の中には決して組み込んではいない【病気】が、如何に人の将来を
台無しにし、喜びを奪い去るか!! それを目の当たりにしているので、本当に
「動ける内、出来る内」に楽しむ事の重要性を感じているのです。
私も家内も身体に「爆弾●~*」を抱えていますので「もしも!?」の可能性も
年々確率が高くなっているのです(^_^;)💦
最初の人間アダムが神様に従うことを意識的に辞める道を選んだ、遠い昔の出来事
が、何千年後の私達の身体にも「不完全さ」という「負の遺伝」をもたらし、
正に「生きて行く上での敵!」とも言える【病気】。
自分が教えてもらった事によると・・・必ず病気や死そのものが無くなる世の中が
地上に必ず到来すること、その約束に関して「神様は嘘を付くことが出来ない!」
のだそうです。
難しいことはともかく、本当に病気は無くなって欲しい!と強く思います!
「動ける内に楽しみを!」と強く思う気持ちになってきた理由には、
身近な人の人生の記録を目の当たりに見てきたから・・・ということもあります。
それは私の妹のことです。
過去記事で、妹が現代の医学では完治できない「Cancer」であること、そして
患部が肝硬変から変異したことを書きました。
幸いな事に、宣告された余命よりも遥かに生きております。
しかし、生きて居れば居るほどに転移や他の合併症のリスクが高くなり、不安が
増してくるものです。
じつは今回また入院しています💧
腹部の強い痛みが有って、何度か救急で運ばれて痛み止めの点滴を受けて帰宅すること
が既に3度ほども。
もしかしたら?患部の破裂?などの不安がありましたが、毎回それは回避できました。
そして今回、腹部の痛みの範囲が広いので徹底的な検査の結果・・・・
「胆管結石」そしてそれに関連した胆嚢部の炎症、それに伴う発熱、
炎症マーカーの大きな数値が出たのです。
肝臓周辺は他臓器との関係が濃く、独立している訳ではないので、そう簡単にオペが
出来ないのだそうです。
また肝臓が弱っていると、静脈瘤の増加そして破裂、膵臓への負担・・・
下手をすると「敗血症」になり、全身のダメージもあり得るのです。
肉親だから言えるのですが、若い頃からアルコールに関して不適切なほど飲用して
肝臓のデーターそのものが悪くなっていました。(スナック勤めでした。)
にもかかわらず、酒を辞めることはなかったようです。
両親の意志として「自分が動ける内は一緒には住まない。」と意地を張っていたので
高齢になって本当に動けなくなってから、やっと私の提案を受け入れてくれて同居が
出来ました。 親たちは家を持たず借家住まいでしたので、同居のためには・・・
ま、ず小さな私たちが今まで住んでいた家を売り、同居が出来そうな広い家を購入
するという「大きなイベント」が必要でした。(ここで多量のお金を散財💧)
既に認知症に見舞われていた母、心臓疾患で度々胸の痛みを訴えていた父。
仕事に就かずに親の年金で生活してきた妹・・・
同居するには余りにも「生活に対する意識度の低さ」が目立ちました。
介護保険の存在すら彼らは知りませんでした💧💢
実際に住んでみると・・・一緒に住む前には聞くことの無かった「嫁への不満」、
「引っ越した家への不満」などなどが、壁越しに嫁の耳に到達し、それを境に妹が
例えどんなに「美辞麗句」を言おうとも、心から信じることが出来なくなってしまった
ようです。
間に入る私は可能な限り「公平な見方」をするように努力しました。
職場の異性の同僚たちに色々と聞いてみたら、ほぼ同じ回答が得られました。
それは・・
【奥様にはもう旦那さん以外に頼れる人はいないんだから!
【ばうさん】はお嫁さんの味方になってあげなくちゃ!】というものでした。
(激しく納得!)
実際のところ、いろいろと心無い言葉・・・
(実際は【心にあるものから人の口は語る】「聖句」)を言っていた妹は、
今や、私や嫁さんに頼らざるを得ず、とても静かになっています。
もっと優しさや、慎み、謙遜な思いがあったらもっと違う人生があったろうに・・。
身内とは言え、こうして自堕落な生き方をしてきた結果としての病気は、
妹と言えども心から可哀相だ💧・・・とは思えないのです。
本当に「動ける内に、自分が自分でいられる内に」
正当な楽しみを満喫しておかないと・・・絶対「後悔💧」すると思います。
「老後の楽しみ」と言って、何年、何十年後を思い浮かべる『健康な老後』は、
幻だったり、浅い夢、あるいは「妄想」にしか過ぎなくなる可能性が大きいのです。
新しい車が月末にはやってくる「喜ばしく楽しみ」な日々と、
いつ病院から深刻な📞電話が掛かってくるか分からない
「不安の伴う悲しみ」の日々が同居する毎日。
そのどちらも「現実!」。
何がどのように起きたとしても! 「動じないぞ!」との
【覚悟】は決めて置きたいと思います。