『長文失礼します。m(_ _)m』
この句は「在原業平」が詠んだ【古今和歌集】の作品の一つです。
この度、飼い猫の17年選手!だった愛猫😺 の一人【カーヤ】が、
逝きました。
17年+アルファといえば人間では「90才近い」超高齢猫です!
もうどんな病気や疾患が有ってもおかしくない年齢です。
今回死ぬ原因となった重大な疾患は【動脈血栓】でした。
一日前には全く問題なく歩いたり、膝に乗ったり、立ったり座ったりしていたのに
急に『下半身を引きずって移動する』動作を始めたのです。
素人考えで「年だから腰骨でも折れたか? はたまたぎっくり腰?」と思って猫の
腰部を触るものの『痛がらず』、何だか『腰が抜けた』状態に近いものでした。
急いでネットで【猫 腰が立たない】で検索したら、
幾つもある中で『大動脈血栓』という文字が目に飛び込みました!
もしそうならば血栓を溶かすためには、最大でも6時間以内に処置しなければもう
手遅れになると書かれていたのですが・・・
夜の10時を超えているのでダメ元で・・
こんな時間に診てくれる動物病院なんかありっこないだろう?」と諦め半分で検索
してみたら・・・
我が家から関越道で行くことが可能な夜間診療動物病院が見つかりました!
埼玉県所沢市にある【日本小動物医療センター】です!
すぐに電話して、携帯のナビに登録して車を飛ばしました!💨 💨
不安と下半身が動かない違和感からか、車の中のケージの中でしきりに鳴いて
いました😓 可哀そうで一緒に泣きたくなる気持ちを抑えて行きました。
到着するとすぐに診てもらうことが出来ました。
とても親切で、高額な費用になる検査や医療行為を施す前に、病院側はその都度飼い主
に許可を求めて、しかし迅速に幾つもの項目を手際良く行ってくれました。
結果は私が案じた通り【大動脈血栓】により、下肢への血液が殆ど流れて
いないこと、その原因になったのが「心臓肥大」による血流不足の慢性化・・・
でした。
昔はペットの食餌はほとんど人間の食べ残したもの、が多かったために若くして腎臓
を傷めたり、心疾患などにより、加えて動物を医者に連れて行く事自体「普通」なこと
ではなかったので結構「短命」だっため、高齢化以前に死んでいたのでしょう。
でも最近は食べ物も改善され、ペットの健康を重視するようになって「早死」は減り、
代わりに高齢化に依る「成人病」がペットにも生じるようになりました。
そんな「猫人生ゲーム」のステージを次々とクリヤーしてきた我が家の「カーヤ」、
本当に丈夫な猫でした(^^)v
カーヤは実は三匹兄弟の中の一匹。
インターネットがあまり一般化していない頃に「ネットで里親募集」している人を
探していました。
最初は1匹飼いしたかったのですが、家族との話し合いで「二匹飼いでもいいよ!」
ということになり、東京都は田無市の飼い主の方へと私の二人の息子とともに伺って
頂いてきたのでした。(幼い子供たちは大興奮!💕 😺 😺 💕 )
こんな姿で飼われていた幼少期です。(右側がカーヤ、左側はシドと名付けました。)
カーヤは【ハチワレ】でした。
家に連れてきて離したら・・茶箪笥の裏の隙間へ逃げ込んだり、押し入れの中に入って
隅っこへと逃げたり・・・水も食べ物も一切受け入れてくれませんでした💧
何日かそれが続き、お腹は絶対空いているに違いない・・と思い、割り箸の先に
刺し身や、小さく切った鶏肉などを口先へ持っていったら、やっと食べてくれました😊
それでもまたすぐに逃げてしまい、警戒心はなかなか取れませんでした。
幾日か近すぎたある日、パソコンをしている私の膝下へ来た猫が「カーヤ」でした。
きっと二匹の間には「暗黙の了解?」が有って【慣れるのずっと拒もうね・・】と、
約束していたのかもしれませんが、最初に掟を破って私の膝に来て「甘えて」くれた
瞬間は嬉しくて泣いてしまったほどでした。
その様子を「引っ込み思案で臆病で、でも極度のツンデレ猫シド」は見ていて、私以外
の者に懐き始めたのです。(それが次男でした。)
二匹飼い、しかも兄弟猫を持ったからこそ知った猫の習性、友情? 一体感・・・
とても楽しめました😊
多感な時期を過ごした息子たち・・学校ではいろいろな苦痛を味わったり、私たち
親の教育方針に不快感を抱くことも多かったに違いない・・・
でもそんな思いをこの猫達は「吸い取ってくれて」、一度扉越しに猫に向かって
「なぁ、シドよ〜、今日さぁ学校でさぁ・・・・」と、次男が猫に自分の気持を
聞いてもらっているのをコッソリと👂 聞いたことがあります。
きっと猫の頭を擦りながら、顎の下を擦りながら話していたのでしょう♫
それだけでも多感な感性から来るストレスを、解消していたのかもしれません。
学校の成績も落ち始め、素行も少しづつ悪くなり始めていた時期・・・
まさに猫達は「命の恩人タチ」なのかも知れません。
この二匹は良く屋根に登って、遠くから帰ってくる子どもたちの姿を見つけては
「お帰りなさーい!😺😸」と言っているかのように啼いて、
屋根から急いで降りてきて足元でじゃれついていたものでした。
やがて子供は成長し、就職で家を離れた次男。
そんな時期に私の親との同居が始まり、やむを得ず猫を連れての引っ越しになりま
した。 猫は人以上に住み慣れた「場所」への執着が強い・・と言われた通り、
シドは一緒にもう住まなくなった次男への愛着と、共に過ごした6kmほど先の元の家
を慕い「家出」してしまいました。 もう6年以上も前なのできっと死んでいるかも💧
ところが今回の猫「カーヤ」は、出て行く兄弟猫(シド)に『出てっちゃ駄目だー!』
と諭すように啼き、自分自身は家に留まりました。
出ていった兄弟猫を探すために、カーヤは外を徘徊し、家の中から外を見ては似ている
猫に「大きく啼いて声を掛ける」日々が続きました。
見ている私達には本当に涙が出てくる辛い姿でした。
同居するようになった私の両親と妹・・・大の「猫嫌い」。
ところがカーヤが妹に懐き始めたら・・・「大の猫好き💕」へと変わったのです!
その代わり、あんなに馴染んでいたカーヤが私たちを離れ始め、顔を見るだけで逃げる
可笑しな行動をするようになりました。(5年以上も)
きっとボケたのでは?と思うようにし、ガッカリしないようにしました。
妹はカーヤを愛してくれて、特別にカーヤだけ美味しい物を貰ったり、寒いと言えば
コタツを用意し、暑いと言えばクーラーを。
その分だけカーヤも懐き、ほぼ毎日妹の布団の上で寝起きしていました😊
ところが・・私の母が他界し、妹が病気治療のために週単位で入院し始め、部屋には
誰もいない日々が続くようになりました。
そのあたりから少しづつ私たちへと近づき始め、警戒心が無くなり、布団の上にまで
来るようになりました\(^o^)/
外と中を行き来する我家の猫(本当は家で飼いたいが・・)、どこかの「バラ線」で
でも引っ掻いたのか、背中の皮が破ける怪我をしてきました。
結局3ヶ月の期間、縫っては破け、破けては化膿し、また削って縫う・・・
その繰り返しでした。 外で昔飼っていた所為か「猫エイズ」に感染している疑いが
有って、なかなか傷が回復しないというのも影響していたのかもしれません。
それがいつの間にか完璧にくっついて、毛並みも他の部分と差が無くなり「カーヤは
本当に丈夫な猫だねぇ!」と言っていた矢先でした💧
もう何年も膝に乗ることが無くなったカーヤ。
実は長男が大好きでいつも兄ちゃんの膝へとまっしぐらな仔でした😺
それが何年も寄り付かないばかりか逃げていたのですから、長男もさぞ寂しかったこと
でしょう!
それが、死ぬ数日前に二度も自分から長男の膝へ乗ってくれたのです💕
この時点でまさか、血栓で事態が急速に悪化するとは夢にも思いませんでした!
息子が買ってきた美味しそうなマグロの切り身を、さも美味しそうに顔を斜めにして
食べていた姿が最後の食餌になりました。💧
こんなことを書いたら「ドン引き」されてしまうかもしれませんが、
私の両親の死の際には、涙は一滴も出ませんでした。 浮かぶことさえも。
でも、カーヤの死は悲しくて可哀そうで、いじらしくて、やるせなくて・・・
大粒の涙が止まりませんでした💧💧
きっと事ある毎に浮かんできて、泣けてしまうかもしれません。
今現役の飼い猫「チャム」がもらい猫として来て、兄弟猫が既に飼われている環境下へ
の飼い猫になるので、だいぶ「あっちへ行け!」という空気がありました。
そんな折、カーヤにしみじみと「チャムの生い立ち」や「置かれた環境」を説明した
のでした。 不思議なことにそれを理解したのか、その日を最後に餌を奪い取ったり
邪魔者扱いすることを辞め、チャム(当時は子猫)に最初に餌を食べることを譲り、
カーヤ自身はその後に食べていました。(漢(おとこ)な猫でした。)
地域内でもカーヤは他の猫をいじめることも、逆に虐められて怪我を負う事もあり
ませんでした。ボスとして優しくて強い!カッコイイ!猫でした。
そのくせ鳴き声は「女の子💕」みたいな甲高くて細い声でした😊
カーヤ! 沢山の思い出をありがとう(^^)/
子供たちが本当にお世話になりました(^^)/
途中大病もせずに生きてくれて本当にありがとう\(^o^)/
いつまでもずーっと忘れないからねぇ!
「ゆっくりと休んでねぇ💕」